「書いた言葉だって,しゃべる言葉だって,思いを翻訳したものでしかありません。相手をみるまなざしだって,言葉と同じように思いを翻訳したものです。結局,なにが必要か,わかりますよね」。
quote:12歳の盲目で自閉症気味だった少年は,ブライユノートという機器によって耳の聞こえない彼の親と会話ができるようになった。ブライユノートに少年が点字をタイプすると,母親のコンピュータのモニタに文字が表れる。母親がコンピュータで文字をタイプすると,ブライユノートに点字が表れる。母親は簡単に子どもに,「あなたはなにが食べたい?」「学校はどうだった?」と訊くことができるようになった。母親は,「毎日たくさんこれを使っている。素晴らしいものと思う」と述べている。
「いっさい言葉を話さないで恋人同士になることはできるかな,とボクが訊くと,彼女はちょっと怒ったような顔で,SEXだけするってこと? と言葉を返してきた。ぃゃ,そうぢゃなくて,なんだろ,みつめ合うだけとかさ,そんな恋人同士がいてもいいんぢゃないかなってね。でも彼女は飽きれたような顔だった。そんな一昔前の恋愛小説みたいなのが実際にあるわけないぢゃない。そんなので満足なんかできないでしょ? ぢゃあ,なにがあればいいんだろう? 言葉がないだけで満足できない2人に,言葉以外のなにがあればいいんだろう?」
目のみえない人間と,耳が聞こえない人間が意思を伝え合うのが難しいのは,すぐにわかる。目のみえない人間が手話をマスターしていれば双方意思を伝えられるが,記事のように目のみえないのが子どもだと,まだ手話をきちんと習得できていないこともある。双方に翻訳係が必要で,そんなときほど,現在のテクノロジーを役立てたい。このブライユノートとやら,なにげにブルートゥース接続でもって,携帯電話のヘッドセットで話した言葉を点字にしたり,キーボードを接続して打った文字を点字にしたりもできるらしい。そしてUSBでパソコンとつなげ,ブライユノート上で打った点字をパソコン上に普通の文字として表示もできる。日本語に対応したこんな装置が出回るのは,いつのことだろう。
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